taketsanの観心日記

海外でお仕事中。

うーむ。こちらにいても活動家会員のうざったさがつきまとってくるわけだね。

昨日座談会行った??とか聞かないでくれーい。行ってないっすから!!

 

仕事は,楽しくなってきた。どこの職場でもやっていけそうな手ごたえを感じつつあります。成長かな。

創価学会でお悩みの方へ 3

現在でも,日本に帰ってからの人間関係や結婚についてなど,悩みは多くあります。しかし,学会に対しての自分の立場をある程度鮮明なものにしておけば,一つひとつ乗り越えていけるのではないでしょうか。

私はこう考えています。

・信仰は人間の本能に根差したものであり,祈るという行為は自然なものである。自分が「祈りたい」と思う時に自然に祈れば良い。形式にこだわる必要もなく,仏罰などないものとして考えた方がよい。

・組織や先生は自分に基本的な信仰態度を与えたものとして感謝している。しかしそれらが崩壊の一途を辿ったとしても,時代の流れとして受け入れる他はないし,改革しようとも思えない状況にきている。そしてこれは「事実」である。(先生が死んでも何も状況は変わらないと思う。)

・会員の友人たちは残念ながら救いようのない人が多い。その人が自分から見て幸福になろうと不幸になろうと,信仰に原因があったと見るべきではなく,友人として関わっていければよい。励ましが送れるような人になれたらいいと思う。

・今後も様々な形で組織活動に引っ張られていく事になるだろうが,オブザーバーとして見守っていくつもりである。そのことが恩返しになればいいと思う。

・家族に関しては,個々の実態があるため一概には言えない。うまくやっていくとしか言えない。

 

以上,長々と書いてきました。自分で読み直しながら,失礼な文章だと思いました。頑張っている会員に申し訳ない。自分が正しいかなど分からない。自分だけが頭がおかしいのかもしれない。批判もあるかと思いますし,多くの方は不快かもしれないですね。気分を悪くされたとしたら,それこそ申し訳ない。どうか気にされず,邁進してください。

まだいろいろと過去の思い出を引きずっています。でもきっと悩んでいる人は同じような感覚なのではないかと思って。宗教とは実にややこしいものですね。

 

悩んでいる方へ,何かの参考になれば。

創価学会でお悩みの方へ 2

組織を離れた理由は,家庭の事情としておきました。しかし,簡単には離れられないものです。まず,実家との関係上,新聞は購読を続けました。また,新しい地区との関係もありました。今や全世界に広がった創価のネットワークは,簡単に逃れられるものではありません。(ここ海外においてもなおのことです。)

そして変革を志していた私にとっては,「同じことで悩んでいる同志を見つけたい」と思い,苦しくない程度に活動を続けていくことになったのです。妙な正義感に駆られていました。そして少しずつ,似たような考え方をもつ友人も現れました。

拠点の活動では,一人一人が組織変革の主体者であるということを伝えていきました。支援活動では,他党との政策を比較しながら,なぜ公明を支援するのかを明確にして伝えるようにしました。まあこれは結局,支援しない方が良いという結論に流れていくのですが。家庭訪問では,活動をしないことに対する共感や仕事についての励ましを送りました。折伏はしませんでした。今の組織では不幸になると思うと,全力で勧誘することができなかったからです。大きな会合があれば,幹部指導や会合の形式などについて友人と文句を言い合いました。

そして結局,学会はもう再生不可能であると感じるに至りました。根拠はあまりありません。ただ,身の回りで行われている暴力的な組織信仰は,どう考えても簡単に変えることができないと思いました。

公明党が巨大な支援団体を盾に与党として権力に寄り添っています。会員はエネルギーの大半を支援活動に消費し,組織を振り返る余力をもちません。盲目的に今までの活動を続ける以外にないでしょう。永遠の指導者は耄碌して組織をきちんと見つめられていないため,もはや指導力を失っています。生きているか死んでいるかはもう関係のない状況です。過去の指導は力をもたず,組織に都合のいいように解釈されるだけでしょう。本部職員は末端の壊滅的な状況を知りながらあぐらをかいて金を浪費しています。あたかも自然発生した会合かのように傲慢な勘違いしながら,大勢を前にでたらめな講話を聴かせるだけで,家庭訪問などほとんどしません。(中には立派な方もいらっしゃるようですが。)

無責任だと批判されることかも知れません。その通りだと思います。少しでも組織の発展に貢献したものとしての責任は,簡単に逃れられるものではないと思います。これからの在り方の明確なビジョンをもっているわけでもありません。その点については,申し訳ないと言う他はありません。特に,私が今まで折伏してきた友人に対しては,本当に申し訳ない。

そして,大きく組織から離れることにし,仕事を変えて海外で生活することにしました。もちろんこちらにも会員はいますし,しがらみもあります。しかし,しばらく長い間会合にも出席せず,仕事に集中して生活できるようになりました。

創価学会でお悩みの方へ 1

本当に申し訳ないです。私もいまだに会員です。以前は幹部なんぞをやっていました。

家庭訪問では,携帯電話につながらない会員の家まで行って,夜10時ごろにチャイムを押すこともありました。新聞受けや電気のメーターを見て生存確認し,メモを残して去りました。

折伏では,友人のもとへ数人を巻き込んで高速を走らせ,土日をつぶさせました。強引に入会希望カードに記名させ,組織の地区部長に住所を報告して公明党の案内を郵送してもらいました。

拠点の提供をし,夜遅くに題目を響かせたり,10時間唱題会を開催して苦情を受けたりしました。忙しい会員を強引に誘っては,大した準備もしていない勉強会を開き,聞きなれた学会の歴史を繰り返し説き聞かせました。

しかし,先輩からの強烈な抑圧を受け,私の考え方は変化していきました。そのころは深夜と言っても,3時過ぎまで打ち合わせが続くこともしばしば。肉体的に限界の中,家庭訪問についての詰問が始まりました。私はその週の目標を達成していませんでした。その場には,他にも数名の会員が同席していました。

 

「まだできるだろう。なんでやらなかったんだ。」

「…。」

「できないなら(役職を)やめろ!おれがやる。」

そう言いながら,私のファイルや御書などを奪う先輩。

「やります!返してください!」

「次はないからな。」

 

そうして限界を過ぎた生活を送っていました。「先生の求める組織とはこんな姿なのだろうか」と疑問に思いながら。友人たちは,一心不乱に先輩の求める成果を出そうとしていました。自分のやるべき仕事もそっちのけです。なぜなら,先輩方も仕事をそっちのけで活動をしており,仕事をしていない人もいたくらいですから。

私は孤独な日々を送りました。「おかしいと思うんだ。」と友人を捕まえて話をしてみても,「確かにそうかもしれない。でも俺はこの訓練にきっと意味があると思う。」と組織を信じて疑わない様子でした。こういった相談は,たくさんの友人にしました。私の実感では,1%程度の会員が理解してくれました。残りは,盲目的な活動家であるか,そもそも最初から深くかかわろうとしていないため,無関心であるかのどちらかでした。組織の問題点を追及し,変えていこうとする人間は稀だったのです。

私は変えようとしました。先生の思想にもっと触れようと,垂れ流しの聖教新聞や都合のいい解釈にまみれた幹部指導ではなく,対談集や御所講義などを紐解きました。組織に関する問題は,最近ではほとんど指導がなくなりましたが,昔の本には載っていたものです。それらを武器に先輩方に食らいつきました。しかし結果は残念なものでした。

「それは昔の指導であって,俺たちは今の先生の呼吸に合わせるべきなんだ。お前は先生の呼吸が分かっていない。」

多くはそのような反応でした。数年前のことなので記憶も曖昧ですが…。幹部の多くは,傲慢でした。自分の解釈に酔っていました。創価大学の出身者はとりわけエリート意識が高く,特別な血が流れているかのような振る舞いをしました。そして「先生の呼吸」を理解しているように振る舞いました。

そして私は,半ば鬱になりながら決断しました。急に組織を離れ,引っ越し,活動を休止したのです。

脱宗教のプロセスってのは,失恋に似てるね。なんかこう気になってしまうんよね。元カノは学会です。的な心境だ。離れたくても,簡単に離れられない。(自分もそうだし,組織の方でも離さない。)他の人が,あの組織はやっぱり変だよって言うのを見て,自分の判断を裏付けたくなる。過去の栄光に浸っていたい気分があり,叫びたくなるような苦い思い出も頭をかすめる。心の傷があって,でもそこには成長もあった。

 

ただ,忘れるために必要な時間が違いすぎるな。だからたとえば,世界の人口がたった2人だと思い込んで,そんで失恋するようなもんかなぁ。いや飾りすぎてるかな。

 

まあそんなイメージです。でも,今はたくさんの師を感じるし,いくらか落ち着いた。多分大丈夫だ。時間はかかるけど,新たな恋でも探しますよ!