taketsanの観心日記

海外でお仕事中。

創価学会でお悩みの方へ 1

本当に申し訳ないです。私もいまだに会員です。以前は幹部なんぞをやっていました。

家庭訪問では,携帯電話につながらない会員の家まで行って,夜10時ごろにチャイムを押すこともありました。新聞受けや電気のメーターを見て生存確認し,メモを残して去りました。

折伏では,友人のもとへ数人を巻き込んで高速を走らせ,土日をつぶさせました。強引に入会希望カードに記名させ,組織の地区部長に住所を報告して公明党の案内を郵送してもらいました。

拠点の提供をし,夜遅くに題目を響かせたり,10時間唱題会を開催して苦情を受けたりしました。忙しい会員を強引に誘っては,大した準備もしていない勉強会を開き,聞きなれた学会の歴史を繰り返し説き聞かせました。

しかし,先輩からの強烈な抑圧を受け,私の考え方は変化していきました。そのころは深夜と言っても,3時過ぎまで打ち合わせが続くこともしばしば。肉体的に限界の中,家庭訪問についての詰問が始まりました。私はその週の目標を達成していませんでした。その場には,他にも数名の会員が同席していました。

 

「まだできるだろう。なんでやらなかったんだ。」

「…。」

「できないなら(役職を)やめろ!おれがやる。」

そう言いながら,私のファイルや御書などを奪う先輩。

「やります!返してください!」

「次はないからな。」

 

そうして限界を過ぎた生活を送っていました。「先生の求める組織とはこんな姿なのだろうか」と疑問に思いながら。友人たちは,一心不乱に先輩の求める成果を出そうとしていました。自分のやるべき仕事もそっちのけです。なぜなら,先輩方も仕事をそっちのけで活動をしており,仕事をしていない人もいたくらいですから。

私は孤独な日々を送りました。「おかしいと思うんだ。」と友人を捕まえて話をしてみても,「確かにそうかもしれない。でも俺はこの訓練にきっと意味があると思う。」と組織を信じて疑わない様子でした。こういった相談は,たくさんの友人にしました。私の実感では,1%程度の会員が理解してくれました。残りは,盲目的な活動家であるか,そもそも最初から深くかかわろうとしていないため,無関心であるかのどちらかでした。組織の問題点を追及し,変えていこうとする人間は稀だったのです。

私は変えようとしました。先生の思想にもっと触れようと,垂れ流しの聖教新聞や都合のいい解釈にまみれた幹部指導ではなく,対談集や御所講義などを紐解きました。組織に関する問題は,最近ではほとんど指導がなくなりましたが,昔の本には載っていたものです。それらを武器に先輩方に食らいつきました。しかし結果は残念なものでした。

「それは昔の指導であって,俺たちは今の先生の呼吸に合わせるべきなんだ。お前は先生の呼吸が分かっていない。」

多くはそのような反応でした。数年前のことなので記憶も曖昧ですが…。幹部の多くは,傲慢でした。自分の解釈に酔っていました。創価大学の出身者はとりわけエリート意識が高く,特別な血が流れているかのような振る舞いをしました。そして「先生の呼吸」を理解しているように振る舞いました。

そして私は,半ば鬱になりながら決断しました。急に組織を離れ,引っ越し,活動を休止したのです。