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自分が一番やりたいことか。なんだろなぁ。
もうほとんど終わっちゃった気がするな。
私的な自由な教育がしたい。若い人達と世界を見たいなあ。
いつの日か、私達は現実に縛られて、決起盛んな議論なんてしなくなって、保身にまみれて腐って死んでいくんだろ?抗いたい。光はあまりにも消えそうで、薄暗い。
決意することだ。次に行動することだ。自分を変えよう。そこからだな。よし!
2014年…離
あの頃の思考からは離れつつ、あの頃の生命力をもう一度発揮したい。
つべこべ言わず、活動はしない。リズムよく生活し、祈りの時間をつくる。SNSからは離れて、不要な過去に縛られずに生きよう。
漢詩
恩師がよく口ずさんだ漢詩。
「盛年不重来
一日難再晨
及時当勉励
歳月不待人」
――陶潜
懐かしく書初める。
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うわー仕事いやだわー うぇっうぇっ
帰国後のプランねりねり中。むずかしいな。
今年は家計簿をつけることにした。月ごとにでも収支報告ができればいいと思う。
年収の1%は寄付に回したいな。その明細も共有できればいいと思う。
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向こうの側にいたっていう過去に味を占めてるのかもしれないなあ。そんなの幻想だ。ヒエラルキーをぶっ壊せる可能性に賭けていたあのころ。今もそうだけど。
本当に変えたかったのは,何なの?
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一人離れて生きたいっていう願望の中に、やっぱり世の中で起こってる暴力からは目を背けらんないよなぁっていうため息が混じる。
暴力って暴力でしか解決できんのよなっていう事実。教師にしても金にしても警察にしても宗教にしても。潔癖でいるわけにはいかんざき。やっぱりアフリカで難民支援してる人とかホントすごいと思う。
今は適切なとこに金あげることしかできない。ちょっとその管理頑張ってみるかな。
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今年の文字をここ数年決めている。去年は破、そして今年は離。何となく浮かんできたものだったが、期せずして順良く並んでいる。
先生は、…彼は、離れてしまったのだと思う。我々には、もう父ではない。永遠の指導者ではないんだと思う。個の究極の天地を目指して間断なき飛翔を開始され、組織は是とも非ともしない。個の中にしか平和がないから。きっと学会はしばらく変わらない。先生は放置し続ける。組織で世界は変わらないから。問題があるのを前提で放置される。解体することになろうとも、放置されると思う。
ならば、組織に残された役割は何か。縁しかないと思う。言葉や芸術や学問によって、アプローチの手段を与える。秘められた感性を開花させる縁を並べる。そんな気がするなぁ。
すでに組織は作られた。流れは止まらない。書物も多く残した。もう組織は他人に任せた。あとは自分だ。
これが例の10年プランで書かれた80歳以降のイメージと重なる。永遠に指揮をとるってのは、離れるってことじゃないかなと。
個が究極であれば、周囲がいかに扱おうとも、おだてようとも影響がない。だから、組織を変えようとはしない。組織によって導くことは無意味だから。自分を変えることのみに専念する。
まあ、他人の真意に迫るとか、結局無駄なんだけども。そんな感じかなーって思いました。
んじゃあ残された我々は???無駄な組織であがく???わかんないや。もじもじするしかできねぇや。何かよくわかんない縛りが組織から離れさせてくれないや。多分、一貫教育受けてきたからだわ。ひどいもんだな。
先生、おれもそっちに行きたいっす。