taketsanの観心日記

海外でお仕事中。

創価学会でお悩みの方へ 2

組織を離れた理由は,家庭の事情としておきました。しかし,簡単には離れられないものです。まず,実家との関係上,新聞は購読を続けました。また,新しい地区との関係もありました。今や全世界に広がった創価のネットワークは,簡単に逃れられるものではありません。(ここ海外においてもなおのことです。)

そして変革を志していた私にとっては,「同じことで悩んでいる同志を見つけたい」と思い,苦しくない程度に活動を続けていくことになったのです。妙な正義感に駆られていました。そして少しずつ,似たような考え方をもつ友人も現れました。

拠点の活動では,一人一人が組織変革の主体者であるということを伝えていきました。支援活動では,他党との政策を比較しながら,なぜ公明を支援するのかを明確にして伝えるようにしました。まあこれは結局,支援しない方が良いという結論に流れていくのですが。家庭訪問では,活動をしないことに対する共感や仕事についての励ましを送りました。折伏はしませんでした。今の組織では不幸になると思うと,全力で勧誘することができなかったからです。大きな会合があれば,幹部指導や会合の形式などについて友人と文句を言い合いました。

そして結局,学会はもう再生不可能であると感じるに至りました。根拠はあまりありません。ただ,身の回りで行われている暴力的な組織信仰は,どう考えても簡単に変えることができないと思いました。

公明党が巨大な支援団体を盾に与党として権力に寄り添っています。会員はエネルギーの大半を支援活動に消費し,組織を振り返る余力をもちません。盲目的に今までの活動を続ける以外にないでしょう。永遠の指導者は耄碌して組織をきちんと見つめられていないため,もはや指導力を失っています。生きているか死んでいるかはもう関係のない状況です。過去の指導は力をもたず,組織に都合のいいように解釈されるだけでしょう。本部職員は末端の壊滅的な状況を知りながらあぐらをかいて金を浪費しています。あたかも自然発生した会合かのように傲慢な勘違いしながら,大勢を前にでたらめな講話を聴かせるだけで,家庭訪問などほとんどしません。(中には立派な方もいらっしゃるようですが。)

無責任だと批判されることかも知れません。その通りだと思います。少しでも組織の発展に貢献したものとしての責任は,簡単に逃れられるものではないと思います。これからの在り方の明確なビジョンをもっているわけでもありません。その点については,申し訳ないと言う他はありません。特に,私が今まで折伏してきた友人に対しては,本当に申し訳ない。

そして,大きく組織から離れることにし,仕事を変えて海外で生活することにしました。もちろんこちらにも会員はいますし,しがらみもあります。しかし,しばらく長い間会合にも出席せず,仕事に集中して生活できるようになりました。