大切なこと
学会の家庭に生まれ、教育機関に流れでぶち込まれた。友の9割以上は内部の人間。一般的な嗜好も、今、遅れて手にいれている。異質な存在。
ネットや口コミで行動が見られ続ける。「先生のために結果を出すこと」を強要され続けている。早く、恩返ししろと。
私は一気に離れるよりも、フェードアウトを選択した。今、日本に帰って生活するのはとても怖い。
日本より幾分マシではあるものの、海外とて安住ではなく、時折どうしようもないトラウマが蘇る。不服な活動への無邪気な勧誘。一人の祈りを、屹立した信心を認めない、愚かな組織主義。
無駄な苦労の犠牲になる心優しい凡庸な悪人。
確かに、大切なことを学んだ。あの頃は突き進んでいた。その過去が大きい分、裏切り者への排斥に怯えながら脱組織を進めている。
あいつは退転した、そう言われれば、友を失うのだろう。あるいは家族さえも…?
まるで彼のように。それは、つらいことだ。
けれども、あの人たちは信じられない。神話を拝み、絶対的な答えを押し付けるのみ。
今でも苦しんでいる。人間関係の9割を捨てることを、先延ばしにして逃げ続けているだけ。少しずつ消えれば批判も少ないと決めて、立ち回っているだけ。けれど、今はそれしかできない。
ここ数年で、同じことを思っている人に、たくさん巡り合えた。組織から大切なことを学びながらも、組織から離れて生きる強い人。ありがたかった。
私はいつか、彼らに離別を宣言できる日が来るといい。そのとき、感謝も伝えたい。
この世は悲しみに満ちている。そう思ってきた。一切の救いは、民衆には訪れないと。正しさなどどこにもない。一部の覚者は、やがて幸福へと進んでいくだろう。大部分は明日の小さな幸福を、快楽を信じて搾取され続けていくと。
でも今思う。確かに、幸せはあると。それは、うまく説明できないけれど、心の中に確かにある。平和は、何て言うか、ある。そして、それが永遠に人類の目の前に来ないものだとしても、何ら脅威ではない。
幸福はあると思う。好きな芸能人の話の中ではなく、色恋沙汰のゴシップの中ではなく、政治論議の中にでもない。
生命に内在する幸福への意志の中に、幸福でありたいと願う心の中に、今の中に。
だから、私は…
また明日も頑張りたいと思った。
時代はうねりを上げ始め、師匠は耄碌の一方。
何が正しいとか、そんな話じゃない。この世の正義を説くなんて、全く意味がない。私たちは、正しさに向かって生きているのではない。
今を生きよう。