taketsanの観心日記

海外でお仕事中。

さて、さまざま落ち着いたので、今の自分の考えをしっかりと整理しておこうか。

 

某大学卒業以来、ずっと頭を悩ませてきたもの。それは、いわば被害者意識だったに違いない。両親ともに学会の庭で育ち、その縁で生まれてきた私にとっては、切っても切り離せない関係である宗教。

その一貫教育を受け、若き日は真剣に広宣流布を夢見て決意した。その哲学に感動した。華々しい世界が広がった。

実際に大きく視野が広がったことは事実であるし、感謝している部分は強くある。しかしながら、大学時代に受けた「訓練」はまさしく洗脳であったし、暴力であったことは疑いえない事実である。

他の人がそれで成長したとか、そういうことは関係ない。一人の人間が精神的につぶされた。それだけの事実を強く受け止めてほしかった。

変革を求めた。活動し続けた。理想を追い続けた。周囲が疑わしかった。

結果、何が変えられたというのか。再生産の組み立てラインに貢献しただけではなかったのか。残すものは残した。話すべきことは話した。けれども、己心の苦衷は癒されなかったし、私はいつまでも被害者であった。

幹部も務めた。上にいい顔を見せて内部から変革のチャンスを伺った。それなりの結果も出した。けれども、心は苦しさに満ちていた。

 

ようやく卒業して仕事に就いた。人間関係が一新された。けれども、心はかなりの長い間、蝕まれていた。人のせいにするくせがついていた。逃げるくせがついていた。自分の特殊な体験ゆえ、多くのことが許されると信じていた。

私はいつまでも被害者だった。

 

それを辞めた。離れた。普通の人間として、成長していく事を決めた。そして今、加害者である自分を探して、変わろうとしている。

今でも祈っている。信じている。追いかけている。しかし、それは駒としてではなく、人として。

この世には真理がある。人の歩むべき道がある。仏法は真剣にそれを追求している。他の宗教にしたってそうだ。頑張っている。

だから、もう組織には縛られない。だれが何と言おうと、私は私だ。あなたのものではない。利用したければ勝手にすればいい。批判したければすればいい。それは今や私の人生に何の影響も与えないのだから。

 

 

今、私が思っていることは、次の2点だ。

①ご本尊は正しいだろう。(宗教的な気持ちが強い。)

②先生はおそらく正しいだろう。(感謝の気持ちが強い。)

(※別に先生が思っていたより正しくなくても、別の師をわたしはたくさん見つけてきたから問題ない。一つの人間の生き方のモデルとして、大きく参考になる人、という程度か。)

それ以上のことは何も言えない。特に多くの人に勧めるつもりもない。それを小乗的と言うのなら勝手に言えばいい。そもそもあなたたちは幸せの定義をすることができていないのだから、批判する資格もない。私は私の道を行くつもりだ。

 

とはいえ、過去の人間関係を切るのは無理だ。友人だ。同窓のつながりも強い。何かあれば助けてあげたいとも思う。そのあたりはとても曖昧。内部の人だから特別に扱うというつもりはないのだけれど、そう考えている自分もいる。同じような経験をしてきている分、近いものを感じてしまうのだろう。

しかしこれからしばらくは海外にて生活する身。その点は今は深く考える必要もないかと思っている。

 

簡単に言えば、オブザーバーとして、関心をもちながら生きていく道を見つけたということかな。

 

党のこと、大学のこと、本部のこと、世界のこと、吐き気がするような腐臭に満ちていても、見ていくつもりだ。祈るつもりだ。

世界の平和と一切衆生の幸福のために、何ができるのか。

たくさんのヒントをネットからいただいている。みなさんの発信は、どこかで人を助けています。そのための発信ではないとしても、難しいバランス感覚を保ち続けようとする努力は、混迷した精神界を前進させているはずです。