taketsanの観心日記

海外でお仕事中。

明日から大変な仕事が始まる。

この元気がいつまで続くのか…。うむ。

 

「自分がない」っていうのはどういうことだろう。

「自分がある」人ほど、争うんでないかな。

自分を包むいろんな束縛っちゅうか表面的なもろもろを、全部とりさって己を観察したとき、ほんとの自分ってでてくるよな。人間って、一つの真理に向かってるんちゃうんかな。

そしたら、「みんな違ってみんないい。差異を認め合おう。」なんて言ってたら、それは「まぁ、みんな違う人間だしさ、争いがあっても仕方ないよね」っていう考えになるんでないかな。考えすぎかな。

だから、もし詩を書くんならな、「みんな違うけど、みんな人間。みんな生きてみんな死ぬ。」みたいなことを書きたいよな。「自分自身に真剣に生きてみよう」って問いかけてみたいよな。

差異を認めるってのは、なんつーか、あんまり意味ないんでねぇの。

だって、違う人は違うもん。適当に生きてる人の生き方って、正直あんまり興味ねぇや。そりゃ、職場とか家族とか、認めるっていうか表面上はうまく付き合っていく必要ってあるべ。でも、ほんとそれって、最低限なことって気がする。

育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないとか、そりゃそうジャン。そんなこたぁしってるべ。そうでなくて、それでも僕ら人間やねんって、同じやねんって、強く訴える人が必要なんちゃうんかな。

その先に、個人の幸福がゆっくり確立されていくんじゃないかな。

だから、「自分がない」ってのは、褒め言葉ととらえることにしよな。だって人間としての自分をありのまま見つめてさ、真面目に生きてるんだから。生の本質を探して、じっくり自分を育ててるんだから。

大した年数も踏まずによ、適当な生き方をして、迷惑な信念掲げて、敵なんか作っちゃったりする人よりよっぽど偉いぜ?

自信持っていこ。迷っていこ。それがいいと思うなぁ。