taketsanの観心日記

海外でお仕事中。

久しぶりの更新

長い間更新していませんでしたが,元気にやってました。

3月末から,本格的に脱会を考える時間が増えました。心理的に遠ざけてきたアンチブログを積極的に読み,早くこの束縛から解放されたいと願ったからです。

結論としては,1割の会員の友人と,家族との関係を保つために,脱会はしばらく先にしようと思いました。「いつでも脱会できる。」そう思える自分になれたことで,精神的に楽になりました。

仏壇や本尊は引出しにしまっています。家族が来るようなことがあれば,その時だけ組み立てるつもりです。

そんな勢いで,先日,いよいよ9割の友人の連絡先を削除することができました。もうこの先連絡をとることはないと判断することができました。たまにSNSなどでの連絡が来ても,無視しています。海外生活という理由で上手に逃げることができています。

また,仕事の方は順調に進んでいます。普通の人間としての生活を取り戻す。今年度の目標になりそうです。

 

そういえば,昨日は5・3だったのですね。思いっきり忘れていました。良い傾向です。

中学3年のこと。

創価高校の受験を目指して,初めて毎日の勤行に自分から挑戦した。信念勤行会で決意して,毎日風呂上りにやった。とはいっても,3か月ちょっと。しかも忘れることもあったし,朝ほとんどやってなかったし,(3唱だけしてたかな…)適当だったのは間違いない。

ふと懐かしく思い出す。

そういや,なんやら3月16日に向けてのお届け物について,海外にいながらも連絡来てますわぁ。

いやーどうしよー

出すの嫌だなぁ

ブッチしよっかなぁ

心にも無いことも書けるけど,もういやだもんなー

「先生」とかもあんまり言いたくないっていうか,言うたびに心にグサグサなんか刺さってくるんだよなぁ。

 

あー

 

なんだかなぁ

振り返ると

自分の家庭は機能不全だったんじゃないかなって思う。

親とかよく会合行ってたから夜にいないことも多くて,コミュニケーションは少なかったかなぁ。ゲームばっかりしてたってのもあるけど。

母親が信仰を受け継いでほしいって願ってるのもよく分かってて,それに応えたいって思ったから創価学園を受験したような気がする。条件付きの愛情っつーか。でも,母親はとても愛してくれたなって思う。なんつーか,母も悩んでるっていうか,組織で苦労してきた人でもあるから,組織を度外視した愛情の大切さも感じてるのかな,なんかそんな気もするし…。難しいっつーか日本語の力なさすぎて…

んで狭い創価の世界では,異様なマイノリティの価値観に染まることで強く結束を感じられたっていうか,いびつな愛情を受けていたなって思う。

総じていうと無条件の愛情っていうのをあんまり感じたことがないんだよなぁ。だから,人を無条件に愛するってのがすごく,苦手。今まで人を好きになったのも,単純な「美」を見つけたから。それだけ。っていう感じがする。だから,一定の水準以上は好きになれないっていうか。

 

あーもう,フツーに生きてみたーい

 

職場の同期に今後の信仰生活について相談してみた。結果はひどいものだった。興味がないといった顔。外を眺めて難しいねの一言。愛されることに慣れているのだろう,幸せな人だと思った。そんな人とは生きる世界が違うような気がして,息苦しくなった。他人にはあまり理解されない世界で苦しんできたのだと思うと,寂しく思う。

誰のせいでもなく,自分のせいなのだ。どうか,この世界でまっすぐ生きていく道標を得たい。宗教によらず,自身の内部につくりあげたい。そのためには,学ばなければならない。本が読みたい。むさぼり読みたい。どうにかしよう。

過去にあった悲しい出来事を他人に言うのは,簡単なようで難しいですね。話は長くなるし,そもそも宗教的なことって理解されるかどうかよく分からないですからね。相手次第なところ大です。知ってもらったところで自分は自分であることに変わりはないわけですから,結局のところ何かが変わるわけではないですよね。ただ,飲み会の席などで学生時代の話になると,途端に話を変えたくなる自分の悲しさは,理解しておいてほしいところもあります。あんまり普通の生活ではなかったから。

めんどくさっ